出発前に咲いていたピエールを全部切って来た。今回のバリ島旅行の大きな目的はリゾート。観光であちこち見て回るよりものんびりするのが目的だった。ホテル内にプールもあるし、近くは海岸。そこでぼうっとしていようと。
今回の旅行日程の概略
18日(月)航空会社:ガルダ インドネシア航空(GA881便)
出発空港:新東京国際空港(成田)
出発時刻:11:00
到着空港:デンパサール・ングラライ国際空港
到着時刻:17:15
19日(火)から21日(木)まで自由行動
22時5分ングラライ国際空港発
22日(金)8時50分成田着
3泊5日だが、帰りは22時発なので、3日間たっぷりバリ島だ。
去年のパリ旅行(フランス)の経験から、集合時間より早めに到着するよう、余裕を持って出かけた。その甲斐あって、通路側から2席とる事ができた。長いフライトの時は通路席が断然いい。
余裕を持って手続きし、搭乗時刻を待っていた。
時刻どおり搭乗し、席に着き待っていたが、エンジンの音はするものの、11時20分になっても飛行機が飛ばない。「どうしたんだろうね。誰か遅刻したのかな?病人がでたのかしら?」
なんて、パパと話していると、アナウンスがあった。
「エンジントラブルのためメンテネンスに3時間かかります。」と言う。
「ええ?!」
こんな時、パニックになる人が数名いてもおかしくないと思うのだけれど、誰も騒がない。静寂そのもの。
ママとパパも顔を見合わせて、唖然としたが言葉が出なかった。
「まあ、定時に離陸して、途中で異常に気づいても修理が出来ず、墜落するよりましか・・・」
それにしても、順調な滑り出しと思ったのに、最初からトラブル。
1500円の食事券をもらい空港内で昼食を取り、アナウンスを待っていた。
結局、4時間遅れて飛び立った。
おいおい、ちゃんと直ったんでしょうね?
不思議と不安は無かったけれど、疲れた~~!
その後は何事も無く、ングラライ国際空港到着したのは
午後9時過ぎ(現地時刻)。
予定に無かった夕飯の機内食が出た。
ママの機内食
パパの機内食
不安は無かったとは言え、やはり、無事着陸した時はほっとした。
バリ島時刻は日本時間マイナス1時間。
時差があまり無いのは楽だ。
空港に着くと、現地のガイドさんが待っていてくれ、車でホテルへ直行した。
特に流暢な日本語ではなかったが、言葉は十分に伝わる。
名前が何と「スウエーデン」さん。すぐに覚えられた。
空港からホテルまでは車で15分。街は、車とバイクで混雑していた。この時間で。
3泊するのは
、レギャン ビーチホテル。クタ地区の海岸沿いの老舗ホテル。
ガイドさんが色々手続きしてくれた。
「明日は、明日の風が吹く」。
バリでの3日間の予定は立てていなく、行ってから決めようということにしていた。
とにかく明日は、ホテルやその近辺で、のんびりしようと言うことにした。
あさっては
、「ウブド観光6時間昼食付き」のオプションツアーを予約した。
最終日は未定。
ボーイさんが、部屋に案内してくれた。にこやかに感じよく片言の英語で説明してくれた。
ビィラと言って一部屋ずつ独立して立っている家もあったが、今回は、スタンダードホテルルームにした。
中々、気持ちの良い部屋で「ウエルカムフルーツ」の籠が置いてあったりした。
でも4時間遅れたせいでフルーツはすっかりしなびた感じになっていた。
「これじゃ、ウエルカムフルーツじゃなくヨクカンデフルーツだわ。」
ともかく冷蔵庫の中の冷えたビールで乾杯。
「うまい!」
明日は、何も予定無し。寝坊していいんだあ。
ご飯も作らなくていいんだあ。
(6月23日に記す)
昨夜は、
「いつまでも寝ていられる~~!」
と思ったのだが、やはりいつまでも寝ているわけにはいかない。
だって折角バリ島まで来て、ベットの中ではねえ。
テレビは、「NHK WORLD」というチャンネルがあった。
NHKの総合テレビのニュースとその他の番組をミックスしたもの。
英語で放送して、字幕を日本語で流したり、
ニュースは日本語でそのまま放送していた。
昨日、着いたのは真っ暗になってからだったので、先ずはホテルの偵察。
バリ特有の、椰子の木、プリメイラやハイビスカス、ブーゲンビリアの花がきれいに咲いていた。
大きな大きなガジュマロの木がどっしりと立っていた。
ゆったりとしたスペースで、どこもきれいに掃き清められていた。
先ずは、レストランで朝食。このツアーは、朝食付き。
メニューは、インターナショナル料理のバイキング。
日本でいうチャーハンのような物、辛い焼きそば、もちろんパン。ハム、チーズ、サラダ、トロピカルフルーツ類。どれも、美味しかったし、種類も豊富。その場で、オムレツも作ってくれる。クレープのような物も焼いていた。ただ、白いご飯は無かった。(当たり前か・・・)
ロビーには、日本人のスタッフもいるし、他の場所では片言の日本語と英語で言葉は通じる。
ホテル内はすごく快適。
○スタッフは、皆、暖かい笑顔で挨拶してくれる。
○室内庭、植木、その他の施設が管理され、きれいで清潔だ。
○食べ物が美味しい。
○宿泊客は、オーストリア人が多かったが、感じの悪い人、あやしげな人がいなかった。
おばあちゃんでも、派手な可愛いタンクトップを着こなしていて、ほほえましい。
家族連れも多くいたが、他人に迷惑をかける子はいなかった。
○ホテルの中に、レストラン、プール、マーサージ、ジム施設も整っていて、他に移動しなくてものんびり、快適に過ごせた。
ところが・・・・
「せっかく、バリに来たんだから、海に行こうよ。泳がなくても潮風に当たるだけでも気分がいいよ。」
というわけで、海に出かけた。ホテルの脇の道一本を横切ればもう海岸だ。
早速、パラソル付きの椅子2脚がセットしてあったので、そこに座ろうとすると、人相の悪い男性が近寄ってきた。どうも、この椅子に座るのにはお金を必要のようで、それをもらいたいということらしい。
「10万ルピア!」
と言っている。そこに、若い青年がやって来た。やはり現地の人だが、片言の日本語が話せる。1日何時間でも、一人10万ルピアで、この場所を貸してくれるという。
「10万ルピアって、いくら?」
今回の旅行で一番苦労したのが、このインドネシア通貨ルピアと円とのレート。計算機がないと換算できない。約70ルピアが1円。
「10万を70で割ると・・・・」
もう、加齢いや
華麗なママとパパはすぐに出てこない。いや、
しばらくしても出てこない。でも、1000円以上だという事はわかって来た。何ですと!!!こちらでは、普通のサラリーマンの月給が1万円から2万円だというのに、1日の椅子代が1000円以上?!(`m´#)ムカッ
1日いるつもりは無い。1時間で十分。遠浅の静かな海を想像していたら、かなり波が荒く、サーフィンにふさわしい波だった。そこで、ママも度胸を出して、
「二人で、5万ルピア。1時間しかいないから・・・」
と言ってみた。すると、あっさり了解した。(#/__)/
ドテ
パパは、もうこの時点で、頭に来たらしく
「帰ろう!」
と言う。ママは、
「ええ~~、1時間ぐらいいようよ。バリに来て海を見ないなんて!」
パパも仕方なく了解してくれ、静かにのんびり、ここで1時間海を見ていられると思った。
しかし、それはとてつもなく甘い考えだった。次から次に色々な人が集まって来た。
「マッサージ?1000円!」
「偽入れ墨。2週間もつよ。」
「ネックレス、5個で1000円!」
少し、甘い顔を見せると、話に返答すると、どんどん付け入って来る。
やってと言っていないのに、もうおばさんは足に何かクリームを塗ってママの足をマッサージし始めた。しかたなく
「500円ね。」
とママが言うと、他の商売敵の女性が来てけんかが始まった。
「きっぱり、断らなくてはだめだよ!」
とパパにはしかられるし・・・・
もう、散々な海体験だった。
でも、その海岸で話してくれた日本語片言を、いやそれ以上話せた自称ナガセトモヤという青年
(彼は偽入れ墨を描く仕事をしていた。)の話には、考えさせられた。
ママは、日本語が上手で、ルピアと円の換算もすぐにやる青年だったので、賢い人だと思った。それで
「ガイドとかやったらいいのに。」
と話した。すると彼は
「やれたらいいけれど、そのためには学校に行かなくてはなれない。学校はたくさんのお金がかかる。食べるのもたいへん。学校行けない。」
と言う。ママは二の句が次げなかった。
ホテル内と外ではまるで別世界だった。早々にホテルに帰り、プール脇でのんびりすることにした。
ここなら、椅子にどんなに長く居ても無料。(^_^;)邪魔をする人もいない。
水着で、椅子に横たわり本を読む人。日光浴する人。泳ぐ人より、椅子でのんびりしている人の方が多い。
そうそう、そう言えばママも今回の旅行でやろうと思ったことがあったんだ。
絵手紙の先生が
「カメラもいいけれど、旅行に行ったらスケッチするといいわよ。夕日を描くのに、丸と線だけでもいいのよ。」
と言っていたのを思い出した。それで、今回は携帯の絵手紙用のセットをトランクに入れた。1枚でもいいから描こうと。
まとまらない文を長々と書いたので、今日はここまで。
(6月25日に記す)
レストランの入り口に置かれた水に浮いた花々
今日は昨日と打って変わって、晴天。
今夜、この地を旅立つ。
そう思うと、豪華な朝食も、
「これが最後なんだ・・・」
と思い、味わって食べようと思ったが・・・。
単純に食欲が無い。考えてみると、旅行中、あまり運動していなかったので、腸が動いていないみたい。
そういうママと正反対に、パパの食欲はもう、笑ってしまうほど。大皿2杯分を平らげ、しかも最後に甘いパン類をお皿にいっぱいに盛って来た。
ママは、笑いをこらえるのが大変だった。
今思えば、もっと西瓜ジュースやパパイヤジュースを飲んでおくんだったなあ、と思う。
日本に帰って来て、あの美しい色あいのジュースが忘れられない。
「今日は、ホテルの近くを歩いてみよう。」
と言う計画だった。
もうルピアが無いので、ホテルで2000円分換金してもらった。
ホテルでのレートは、1円が69ルピア。
バリ滞在3日目にしてまだ、計算機無しでルピアを円に換算できない。
計算機も、成田空港で2カ国のレート計算をしてくれる優れものを買ったはいいものの、使いこなせない。
上の数字がルピア。下の数字が円手のひらに、ペンで書くことにした。
「70000ルピア=1000円 700000ルピア=10000円」
「お友達にお土産買いたいから、行こう。」
と出かけたのだったが・・・・・
例の海と同じ状況に陥った。
安い衣料品が所狭しとぶら下がっているお店。いわゆる露店。
触って見ているとすぐに、店主らしき人が寄って来て、
「イクラ?」
とママに聞く。
「いくらって、こちらが聞くんじゃないの?」
と心の中でつぶやいた。
「イクラ?」
と聞かれても見当が付かない。涼しそうな半ズボンがあったので、
「これ涼しそうだね。いくらかな?」
とつぶやいていると、寄って来て、5本ぐらいまとめてつかみ、
「○○ルピア!」
と言う。5本も要らないって。
せっかく、手のひらに書いたカンニングメモも、役に立たない。
例えば、「50000ルピア」と言われてもすぐに50000÷70の答えが出てこない。
もう加齢のせいだけでなく、もともとママは頭の回転がにぶいとこの旅で初めて気づかされた。
相手がまくし立てるのでなおさら、分からなくなる。いわゆるパニック状態。
せっかく、物価の安い国に来て、良い物を安く買おうと思っていたのに(-_-x)
パパが上手くあしらってくれた。
安物は止めて残りのルピアでいいものを買った方が良いと言う。「まあねえ・・・」
少し歩くと、日本にあるような小奇麗な専門店があった。藤で編んだバックや、コースター、ランチョマットなどが売っているお店。
そこで小ぶりの気に入ったバックを見つけた。これからの季節にぴったり。
しかし、
値札は185000ルピア。ママは、2000円を1円69ルピアでホテルで替えたので、
138000ルピアしか持っていない。「デスカウント!」
とパパが言うと、140000ルピアまで、負けてくれた。でも、それでも買えない。サイフの中身全部を開けて見せて、これしかないと話した。
これでだめなら諦めるしかない。
若い美しい女性は、折れてくれ、ママの全財産(ルピアのだよ)とバックを替えてくれた。
ちょっと疲れたママは、
「ホテルで休もう。夕日がきれいだって言っていたから、それを見ようね。お迎えは7時だったよね。」
とパパに申し出た。本当はちょっとしたお店で、お茶や軽い食事をしようと思っていたけれど、
眠くてたまらない。帰り支度をして、フロントに行ったのが5時半。
このホテル、18時がチェックアウトなのだ。その後も、荷物は預かってくれる。
フロントの方と固い握手をし、手続きを済ませた。
荷物を預け海に出かけた。
今日1日晴れていたが、残念ながら夕日には雲がかかっていた。
昼間以上に人が集まっていた。
砂浜に腰を下ろし、夕日を見ていた。
どこかで見たことのある夕焼け・・・。
海に夕日が沈むのは、日本では日本海側だ。
夏休みに子供達と実家に帰った時、海水浴に行った帰りに見た夕日と重なった。
時間が来たので、ホテルに帰ることにした。
ガイドのスウエーデンさんと熱い握手を交わし、空港で別れた。
「寝て帰ったら、もう日本だね。」
出発時刻22:05
到着時刻22日8時50分
ここで、見逃していた事実があった・・・・。
(6月29日に記す)